日本の英雄について

元自衛官のサイト管理人が、自衛隊の教育で習った『戦史』の中で印象に残っていることについて紹介いたします。
自衛隊の情報漏えいか?
大丈夫です。
私が自衛隊を退職するときに全て自衛隊の資料はシュレッダーにかけて細断していますので、国の防衛にかかわることはもう忘れました(笑)そこら辺のウィキペディア情報クラスの話です。




世界の潜水艦乗りが感動した日本人

佐久間大尉と聞いて、日本人でピンと来る方は、ほとんどいないでしょう。

自虐史観、日帝は野蛮で残酷・・・
こんな教育では、自分の国に誇りを持つ子供は育ちません。

誇りを持つことがいけないことですか?
ということで、日本人の英雄を紹介していきたいと思います。

日本人は誰も知らないが世界では銅像や道徳の教科書に掲載されている

まだ、海中で隠密行動ができる潜水艦の技術が確立されていない頃に起きた事故の話です。おそらく読者の皆さんは聞いたこともない日本人でしょう。

しかし、世界中の多くの指導者が感動し、『潜水艦乗りはこうあるべき』として、米国の合衆国議会議事堂には遺書の写しが陳列され、セオドア・ルーズベルト合衆国大統領によって国立図書館に建てられた銅像は、その後勃発した真珠湾攻撃の後も撤去されなかったそうです。

今でも世界各国の潜水艦乗りの教範に語り継がれ、英国の道徳の教科書にも掲載された日本の英雄の名前は第六潜水艇の艦長であった佐久間勉大尉です。

潜水艇の事故

ガソリン潜行訓練の演習中、潜水艇に故障が発生し、不幸にも乗組員全員が殉職をした事故が発生したのは明治43年4月15日のことでした。ガソリン潜行とは、今でいうシュノーケルの技術の様に、海面上に煙突を出しながら空気を取り入れて潜行する方法で、当時としては画期的な発想であり、その技術を確立するための実験中でもありました。

潜水艇であるため、事故が起きれば相当な危険を伴います。ましてや海の中で事故が起きればその恐怖は絶大なものであったでしょう。まだ、未確立な技術であるため、世界でも事故がたびたび起きていました。

その事故が発生した潜水艇を引き上げると、そこには我先にと争うようにハッチを開けようと殺到し、隊員同士で乱闘した形跡がありました。読者の皆さんも想像できると思います。

徐々に薄れていく酸素、沈んでいく鉄の塊の中で死を待つ恐怖を思えば、錯乱状態になる隊員がいても不思議ではありません。

当然、日本帝国海軍の人たちも、そうなっているかもしれないと覚悟を決めて引き上げました。ところが、そこにあったのは全員持ち場について息絶える隊員たちの姿でした。

それだけではありません。そこにいた責任者である佐久間大尉の遺書が、その後の日本の潜水艦の技術と潜水艦乗りの誇りと伝統を築き上げていったことは間違いありません。
sakumataii

佐久間大尉の遺書

佐久間大尉の遺書には、以下のような内容が書かれていました。

私の不注意により天皇陛下の潜水艇を沈め部下を失ってしまい誠に申し訳ありません。されど、艇員一同死に至るまで皆よくその職務を守り沈着に任務を全うしました。我らは国家のため殉職いたします。

しかし、ただただ私たちが遺憾とするところは、私たちのこの誤りが、将来、天下の士の潜水艇の発展に打撃を与えはしないであろうかというところです。

願わくば諸君、益々勉励をもってこの誤解なく、将来潜水艇の発展研究に全力を尽くされんことを願います。そうすれば、我らは一つも遺憾とするところなし。

沈没原因
ガソリン潜行の際、過度深入したため「スルイス・バルブ」を締めようとしたものの、途中チェーンが切れたため手で締めたが、遅れて後部に海水が満水となり、約25度の傾斜で沈降していきました。

沈没後の状況
一、傾斜約仰角13度くらい
一、配電盤がショートして電灯が消え、ケーブルが燃えて悪臭のガスが発生し、呼吸困難に感ぜり。14日午前10時頃沈没しました。この悪臭のガスの下に、手動ポンプで排水につとむ。
一、沈下とともに「メインタンク」を排水しました。明かりが消え、ゲージが見えないが、「メインタンク」の排水は完了したと認む。電流は全く使用することはできず、電液は溢れたものの少々、海水は入らず、「クロリン」ガス発生せず、残気は500ポンドくらい、ただ頼むところは手動ポンプあるのみ、ツリムは安全のための予備浮量六百、モーターの時は二百くらいとしました。右十一時四十五分、司令塔の明かりにて記す。
一、浸水のため、乗員たちの衣がぬれ、寒冷を感じた。
一、私は「常に潜水艇院は、沈着細心の注意を要する。大胆に行動せざれば、その発展を望むべからず。細心のあまり畏縮するな」と戒めた。

世の中の人は、この失敗をあるいは嘲笑するかもしれない。
しかし、私は前言の誤りのないことを確信しています。

一、司令塔の深度は五十二を示し、排水に努めたものの十二時までは底止して動かず、この辺の深度は十尋位なれば、正しきものならん。
一、潜水艇員士卒は、抜群中の抜群者より採用することが必要です。かかるときに困る故、幸い本艇員は皆よくその職をつくせり。満足に思う。

中略

公遺言 謹んで陛下にお願いします。わが部下の遺族をして困窮させる者のないようお取り計らいください。私の念頭にあるのは、これあるのみです。
以下の諸君によろしく(順序不順)
斎藤大臣、島村中将、藤井中将、名和中将、山下少将、成田少将

(気圧高まり、鼓膜が破られるような感じがある)

小栗大佐、井出大佐、松村中佐、松村大佐

松村小佐(私の兄です)

船越大佐、成田綱太郎先生、生田小金次先生

12時30分、呼吸、非常に苦しい
ガソリンをブローアウトしたつもりだけども。ガソリンに酔うた。

一、中野大佐

12時40分なり・・・

佐久間勉艦長の遺書はここで終了しています。

多くの人の心を打った遺書

天皇陛下へのお詫びから、潜水艇の将来、事故の原因と経過、一家の大黒柱を失った乗組員の遺族のことまで気遣った佐久間大尉の遺書は、多くの人の心を打ちました。

当時は、勿論、殉職者の補償は確立していません。この遺書から、佐久間大尉の部下への思いが伝わります。

しかし、佐久間大尉は冒頭でも述べましたように、世界中に人々に知れ渡っていますが、なぜか日本人が知らない日本人の英雄です。戦後の贖罪意識を日本人に植え付ける教育のために、日本人としての誇りを失ってしまった結果ではないでしょうか。

まとめ

最後まで職務・仕事を全うしようとする精神・姿勢は、我々日本人が持っている物凄いDNAです。どんな仕事でもヤリ甲斐を見つけて「良いモノ作る」モノ作りや「いい仕事をする」「公のために」という職人意識や自己犠牲の精神は日本人が持つ独特の気質かもしれません。

これは、公務員だった自衛官時代にも周りの隊員を見て思うことでした。サイト管理人も、先人に負けないように、精一杯仕事をしていきたいと思います。





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